2011年7月6日水曜日

【イエメンはどこに行く・11】《ティハマとアフリカ》

サレハ大統領が大統領府での爆発で重傷を負ってから一ヶ月が経過しました。サレハ大統領がサウジに手術のために出国したときに「これでサレハが退陣して、問題解決」という楽観的な見通しを出した人もいましたが、一ヶ月たっても事態は進展していません。すでにお話しししたように、私はサレハが一度帰国して退陣を表明することが安定的な政権移行には不可欠な前提条件と考えています。

今日、ロンドンでイエメンの民主化運動をサポートしている若者と話をする機会がありました。彼は、サレハがこのまま引退して「権力の空白」が出来たら民主化運動の代表者が話し合って今後の政治の行方に合意すれば良いのでは、と言います。もし、今サナアで様々な民主化運動をしている人たちが、イエメン全体を代表しているのならそれも可能かもしれません。しかし、私はサナアで起こっていることは決してイエメンの多くの国民の意向を反映しているとは思えません。前回お話したハドラマウトは「代表されていない」人々ですし、「ティハマ」の人々も同様です。

「ティハマ」は沿岸部を意味するアラビア語で、広義にはアラビア半島の西側から南側を取り巻く沿岸部を指しますが、主にイエメンの紅海沿岸部を指す言葉として使われます。ティハマは平均して幅60キロメートルくらいの砂地の平地で、そこから内側は急峻な山岳部がそそり立っています。山岳部には雨が降りますが、ティハマは灼熱の地で雨もほとんど降りません。山岳部に降った雨が紅海に向かって流れていく道筋がワーディーになっていて、ワーディーに沿った農業が行われています。ワーディーは海に届く前に蒸発して消えてしまいますが、山から出てきたあたりにダイバージョン・ダムを造って灌漑設備を作るという「開発計画」は1970年代に国際機関の援助によるイエメン最初の援助プロジェクトとして実施されたのです(残念ながら現在では十分なメンテナンスはなされていませんが)。

ティハマの対岸はスーダン南部とエリトリア(1994年にエチオピアから独立しました)で、イエメンの漁民は紅海を股にかけて漁をしており、両側に妻を持っている人も少なくないと言います。このため、エリトリアの沿岸部はイスラム教徒がほとんどで、用いられている言葉もイエメン方言のアラビア語でする(内陸部はキリスト教徒で用いられているのもアラビア語ではありません)。このため、ティハマの人々の方にもアフリカ系の血が混じっている人も多く、住居も山岳部の石造り、日干し煉瓦造りの方形の家とは異なり、いわゆる草葺き屋根の「マッシュルームハウス」が基本です。

産業は漁業と農業、製塩業、陶器作りなどですが、イエメンの中でも最も貧しい地域です。これは、アフリカ系の人々がイエメン政治の中では一段低く見られていることも影響しています。ティハマの農地はほとんど山岳部の部族が所有権を持っているといわれているのです。またティハマのアフリカ系の人々はかつてエチオピアとイエメンが戦争してイエメンが勝ったときに奴隷として連れてこられた人たちの子孫だという人もいます。シバの女王の遺跡がイエメン内陸部のマーリブと、エチオピア内陸部の両方にあるのも、その当時から紅海を挟んだ人の行き来があったことの証拠です。

また、1990年の湾岸危機(イラクのクウェート侵攻)の時に、サウジアラビアがイエメンのイラク支持に怒って国内から追放したイエメン系の人々が難民のようにして住み着いているキャンプもティハマにいくつかあって、貧困層の数を増しています。さらに、アデン湾側に回ると、ソマリアからの難民も続々と船に乗って漂流してきます。このように、ティハマは貧しく、またアフリカとの関係が強いのです。しかし、ソマリア難民以外のティハマの人々は立派なイエメン人です。ところが、彼らの代表者はあまりイエメンの政治に登場してきません。

紅海の沿岸には、北部イエメンの主要港であるホデイダ、かつてコーヒー貿易で栄えたモカ(モカコーヒーの名前はこの港にちなんでいます)などがありますが、ホデイダを押さえているのは山岳部の人々だし、モカ港は完全にさびれています。一言で言えば、ティハマの人々は「忘れ去られて」いるのです。おかげで、これまでイエメン国内で様々な内戦があっても、ティハマは常に「蚊帳の外」だったので、平和が保たれてきたということはあります。

今回の政治的混乱がどのような形で沈静化するとしても、今後はティハマの発展、ととりわけ保健(マラリアも定期的に流行しますし、アフリカからの難民などの流入でHIVエイズの蔓延も危惧されます)、教育の充実が適切に配慮されるべきでしょう。ティハマの人々がある程度安定的に生活できるようになれば、対岸のアフリカにも良い影響を及ぼすでしょうし、アフリカからの難民に一定程度の教育や職業訓練を施すことは、将来の「アフリカの角」の安定化にも寄与するでしょう。それ以上に、サナアを舞台に北部部族勢力の人々だけが権力をたらい回しする状況を放置しないためにも、ティハマの発言力強化は意味があると思います。【佐藤寛 2011/7/6】

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