アルカーイダよりも、イエメンの内政にとって重大な問題は二つあります。一つが北部の「アル・ホーシー派」の騒乱、もう一つが南部の分離独立派の活動です。まず、アル・ホーシー派について解説しましょう。
イエメンの主要都市は首都のサナア(標高2300m)、南部の港町アデン(旧南イエメン時代の首都)、その中間にあるタイズ(標高1000m)、紅海沿岸の港町ホデイダ、東部ハドラマウトの港町ムカッラなどがあります。そのほかに北部のサウジとの国境近くにサアダという町があり、特に北部部族勢力の拠点として重要です。
そして、サナアから山岳道路を通ってサアダに抜ける途上に「アル・ホウス」という町があります。アラビア語で「アル」は定冠詞、英語のtheに相当します。Howthの形容詞形はHowthy、すなわち「アル・ホーシー」は文字通りには「ホウス地方の」を意味する形容詞です。また、同時にその地方の出身者の名字のような使われ方をすることもあります。今回の一連の出来事は「アル・ホーシー」を名乗る家系の人が主導しているので「アル・ホーシー派」と呼ばれています。
新聞などの報道では「イスラム過激派」とか「イスラム原理主義」とか書かれている例もあるようですが、どちらも正確ではありません。アル・ホーシー派は現在のサレハ政権の北部部族領域に対する政策に不満を持つ人々がイスラムの知識人である「アル・ホーシー」に共鳴してその旗の下に集まっている、というきわめてローカルな性格の集団です。
現在のイエメン共和国は1990年に「イエメンアラブ共和国(北イエメン)」と「イエメン人民民主共和国(南イエメン)」が統一して出来たのですが、旧北イエメンは1962年まではイスラム教ザイド派のイマーム(聖俗両面の指導者)の支配下にありました。このザイド派というのは8世紀以来北部イエメンの支配的な宗派で、イエメンを支配した歴代イマームは基本的にこの宗派の最高権威です。そして、イマームはいくつかの有力家系の中から選ばれるのですが、その中の最有力家系「ハミード・アッ・ディーン」家の根拠地は「アル・ホウス」周辺でした。
「アル・ホーシー」ももちろんこのザイド派の宗教知識人です。そして、ザイド派は、イスラム教のシーア派の一派です。このことから、欧米の単純な人々はすぐに「イランの陰謀」という筋書きを作るのですが、一口に「スンニ」と「シーア」と言ってもいろいろあります。旧北イエメンのサナアから北はほぼすべて「ザイド派」で、それ以外のタイズ周辺、紅海沿岸、内陸砂漠部はスンニ派に属する「シャーフィー派」に属し、人口はほぼ半々でした。旧南イエメンはほぼすべて「シャーフィー派」で、南北統一に伴い、宗派バランスでは「ザイド派」は過半数を割っています。しかし、サレハ大統領はザイド派です。
しかし、イエメンの政治においては宗派(スンニとシーア)はほとんど意味を持って「いません」。サナアにはザイド派(シーア)の人もシャーフィー派(スンニ)の人も混在していますが、同じモスクで礼拝することが出来ます。ザイド派は「シーアの中で最もスンニに近い」といわれているのです。ですからイラクやイランの紛争を頭に置いて、ホーシー派がシーアなのでイランが介入している、などと単純に決めつけるのは危険です。繰り返しますが、サレハ大統領は北部部族の出身ですから、アル・ホーシーと同じザイド派なのです。
もちろん「アル・ホーシー」は現在の国の宗教政策に不満はあるでしょうが、むしろ勢力を拡張したのは宗教的な主張の故ではなく、経済的にも政治的にもあまり優遇されていないと感じている北部部族地域の不満があるからです。これこそが、サレハ政権の危機なのです。サレハ大統領は北部部族地域については部族の代表者を通じて間接統治をしてきました。その代表者の筆頭が「アハマル家」でした。アル・ホーシー派の反乱は、このアハマル家を通じた間接統治が有効でなくなったことを示しています。そして、サウジとの国境地域には、サウジ王家から直接補助金をもらって軍備を整えている様々な部族がおり、こうした人たちが結集すれば国軍に対抗できる軍事力となるのです。
アル・ホーシー派の反乱は2006年頃から本格化し、いくつかの地方都市を実質支配することもありましたし、2008年には首都サナアのすぐ北東の「バニー・ホシェイシ」地区まで進軍したこともあります。その後政府軍が盛り返して2010年はじめにはサアダ周辺で激しい攻防戦があり、サウジ軍もアル・ホーシー派を空爆したこともあるようです。この問題はサウジをはじめGCC諸国の懸念を招き、カタールなどの仲介で何度か休戦協定を結ぶところまで行きましたが、決着はしていません。そうこうするうちに2011年2月からの「民主化デモ」が始まったのです。
現在アル・ホーシー派の動向はあまり報じられませんし、ひと頃に比べて軍事行動は下火にはなっているかもしれません(というより、国軍がそれどころではない状態でかまっていられないのでしょうが)。しかし、基本的にサレハ政権の北部部族地域政策に対する積み重なる不満がある状況は変わっていません。他方、サナアなどで行われている「民主化デモ」と「アル・ホーシー派」とはほとんど接点はないと思います。
大切なことは、 どのような形であれ、「サレハ後」の時代がやってきたとしても、「アル・ホーシー派」問題は、「アルカーイダ」よりもイエメンの内政安定のためにはより重要な課題であるということを忘れないことだと思います。【佐藤寛 2011/6/18】
2011年6月18日土曜日
2011年6月15日水曜日
【イエメンはどこに行く・4】《アルカーイダ》
アメリカやイギリスにとって、イエメン問題はイエメン国民のために問題なのではありません。自国の安全保障のための問題なのです。それは、「アラビア半島のアルカーイダ(AQAP)」と呼ばれる集団がイエメン南部に潜伏していて、そこから米英に対するテロ攻撃を仕掛けている、という認識があることに基礎をおいています。
2009年のクリスマスにアメリカで飛行機に自爆爆弾を持ち込もうとしたナイジェリア人が逮捕される事件がありましたが、その人物はイエメンのAQAPの基地で指導を受けたとされ、多くの英米の国民の間では「9.11」の恐怖がよみがえり、それ以来AQAPは欧米の諜報機関の危険リストの上位に躍り出たのです。
さらに2010年10月末にカタール経由でイギリスに届いたイエメンからの航空貨物の中に爆発物が発見されるという事件がありました。これもAQAPの犯行であるとされたため、「手遅れにならないうちにイエメン国内のアルカーイダのアジトを空爆すべき」との世論が高まっていました。
また、今回のイエメンでの政治的混乱で「アルカーイダがイエメンの政権を乗っ取るのではないか」という荒唐無稽な危機感をあおる人もいます。もちろん、テロへの恐怖感は理解できますが、今回のイエメン政治的混乱とAQAPとの関係は限定であることをまず理解する必要があります。また、欧米にとっての重大問題と、イエメン自身にとっての重大問題を混同することは、イエメン問題の適切な解決にとってはむしろ障害となるでしょう。イエメンにおけるアルカーイダ問題の特質を三点を指摘しておきます。
第一にイエメンの現在の政治的混乱とその解決にとってAQAPはマイナーな問題です。二月にデモが始まるまでのサレハ政権の最大の問題は「北部のアルホーシー派の反乱」と「南部の分離独立派の反乱」の二つでした(これらについては後ほどご説明します)。
これらはいずれもサレハ政権の国内掌握力の衰退を示す出来事で、この結果としてイエメン中南部の部族領域(アブヤン、シャブワなど)にAQAPが「秘密訓練施設」を確保できる状況が生まれたのです。しかし、いわゆるAQAPのメンバーはせいぜい数十人というのが大方の専門家の意見で、特定の地域を「占拠」しているのではなく、部族長の許可のもとに「居候」している状況でした。
第二に、サレハ政権にとってAQAPは脅威ではありませんでした。イラク、アフガニスタンから追い出されてイエメンに流れ着いたアルカーイダにとっては政府の掌握力の弱いイエメンは理想的な「安全地帯」で、弱体化するサレハ政権に続いてほしいと考えています。このためAQAPは基本的にはサレハ政権に対する攻撃は一切しておらず、あくまでも欧米への攻撃のための「訓練地」として機能していたので、イエメンの国内政治にはほとんど影響がなかったのです。
第三に、AQAPを問題視しているのは欧米であり、これを利用してサレハ大統領はAQAPの存在を理由にアメリカからの軍事援助を最大限引き出すことに尽力してきました。この軍事援助を利用して、アルホーシー派、南部分離派の掃討作戦を行うためです。
こうした状況下で、6月3日(金)の大統領府砲撃(空爆ではないと思いますが)によってサレハ大統領が重傷を負い、サウジに搬送されて手術を受けるという事態になりました。これによって、イエメンには「権力の空白」と呼ばれる状況が発生しています。欧米メディアはこれがこの権力の空白を利用して暴力的な勢力が伸張するのではないか、「内戦状態」に陥るのではないか、という懸念を表明しています。
これと同時にアメリカはイエメン領内での無人機による空爆を本格化しているのです。もちろん名目はAQAPの掃討です。しかしいかに弱体化しているとはいえ、イエメンは主権国家です。その国に外国の軍用機が、その国の政権の意向とは無関係に自由に作戦を展開しているのです。これはオサマ・ビンラーデン殺害作戦を、パキスタン政府の許可なしにパキスタン国内で実施したことと同様の構図です。すなわち、権力の空白を最大限利用しているのは米国ともいえます。
こうした軍事行動は、今後のイエメンの政治的安定、アメリカをはじめとする欧米諸国との関係に大きな禍根を残す可能性があります。もし、現在の政治的混乱の収束のために外国が介入するのであれば、必要なのは軍事介入ではありません。まずサレハ大統領の政権委譲プロセスを円滑化するための支援をし、次の政権の安定化を図りつつその政権と協力してAQAP対策を講じるべきでしょう。もちろん、そんな悠長なことを言っていられないという人もいるでしょうが、それはあくまでも外国人のエゴです。
イエメンが不安定なままでは、どれほど無人攻撃機でAQAPのアジト攻撃に成功しても、次から次へと反欧米メンタリティーを持つ人々を増やすだけで、むしろ潜在的な脅威が増すばかりであるということを、きちんと把握するべきではないでしょうか。
【佐藤寛 2011/6/15】
2009年のクリスマスにアメリカで飛行機に自爆爆弾を持ち込もうとしたナイジェリア人が逮捕される事件がありましたが、その人物はイエメンのAQAPの基地で指導を受けたとされ、多くの英米の国民の間では「9.11」の恐怖がよみがえり、それ以来AQAPは欧米の諜報機関の危険リストの上位に躍り出たのです。
さらに2010年10月末にカタール経由でイギリスに届いたイエメンからの航空貨物の中に爆発物が発見されるという事件がありました。これもAQAPの犯行であるとされたため、「手遅れにならないうちにイエメン国内のアルカーイダのアジトを空爆すべき」との世論が高まっていました。
また、今回のイエメンでの政治的混乱で「アルカーイダがイエメンの政権を乗っ取るのではないか」という荒唐無稽な危機感をあおる人もいます。もちろん、テロへの恐怖感は理解できますが、今回のイエメン政治的混乱とAQAPとの関係は限定であることをまず理解する必要があります。また、欧米にとっての重大問題と、イエメン自身にとっての重大問題を混同することは、イエメン問題の適切な解決にとってはむしろ障害となるでしょう。イエメンにおけるアルカーイダ問題の特質を三点を指摘しておきます。
第一にイエメンの現在の政治的混乱とその解決にとってAQAPはマイナーな問題です。二月にデモが始まるまでのサレハ政権の最大の問題は「北部のアルホーシー派の反乱」と「南部の分離独立派の反乱」の二つでした(これらについては後ほどご説明します)。
これらはいずれもサレハ政権の国内掌握力の衰退を示す出来事で、この結果としてイエメン中南部の部族領域(アブヤン、シャブワなど)にAQAPが「秘密訓練施設」を確保できる状況が生まれたのです。しかし、いわゆるAQAPのメンバーはせいぜい数十人というのが大方の専門家の意見で、特定の地域を「占拠」しているのではなく、部族長の許可のもとに「居候」している状況でした。
第二に、サレハ政権にとってAQAPは脅威ではありませんでした。イラク、アフガニスタンから追い出されてイエメンに流れ着いたアルカーイダにとっては政府の掌握力の弱いイエメンは理想的な「安全地帯」で、弱体化するサレハ政権に続いてほしいと考えています。このためAQAPは基本的にはサレハ政権に対する攻撃は一切しておらず、あくまでも欧米への攻撃のための「訓練地」として機能していたので、イエメンの国内政治にはほとんど影響がなかったのです。
第三に、AQAPを問題視しているのは欧米であり、これを利用してサレハ大統領はAQAPの存在を理由にアメリカからの軍事援助を最大限引き出すことに尽力してきました。この軍事援助を利用して、アルホーシー派、南部分離派の掃討作戦を行うためです。
こうした状況下で、6月3日(金)の大統領府砲撃(空爆ではないと思いますが)によってサレハ大統領が重傷を負い、サウジに搬送されて手術を受けるという事態になりました。これによって、イエメンには「権力の空白」と呼ばれる状況が発生しています。欧米メディアはこれがこの権力の空白を利用して暴力的な勢力が伸張するのではないか、「内戦状態」に陥るのではないか、という懸念を表明しています。
これと同時にアメリカはイエメン領内での無人機による空爆を本格化しているのです。もちろん名目はAQAPの掃討です。しかしいかに弱体化しているとはいえ、イエメンは主権国家です。その国に外国の軍用機が、その国の政権の意向とは無関係に自由に作戦を展開しているのです。これはオサマ・ビンラーデン殺害作戦を、パキスタン政府の許可なしにパキスタン国内で実施したことと同様の構図です。すなわち、権力の空白を最大限利用しているのは米国ともいえます。
こうした軍事行動は、今後のイエメンの政治的安定、アメリカをはじめとする欧米諸国との関係に大きな禍根を残す可能性があります。もし、現在の政治的混乱の収束のために外国が介入するのであれば、必要なのは軍事介入ではありません。まずサレハ大統領の政権委譲プロセスを円滑化するための支援をし、次の政権の安定化を図りつつその政権と協力してAQAP対策を講じるべきでしょう。もちろん、そんな悠長なことを言っていられないという人もいるでしょうが、それはあくまでも外国人のエゴです。
イエメンが不安定なままでは、どれほど無人攻撃機でAQAPのアジト攻撃に成功しても、次から次へと反欧米メンタリティーを持つ人々を増やすだけで、むしろ潜在的な脅威が増すばかりであるということを、きちんと把握するべきではないでしょうか。
【佐藤寛 2011/6/15】
2011年6月14日火曜日
【イエメンはどこに行く・3】《次は誰か》
そして、「次は誰か」です。これには全くめどがありません。まず第一に、誰もサレハ大統領がこれまでやってきたことを真似できません。皆それがわかっているので、誰もこの仕事をやりたくないのです。これが、サレハ政権が33年間続いてきた最大の理由です。
軍を骨抜きにしておくこと、北部部族と一定の関係を維持すること、中部イエメンのテクノクラートを掌握すること、旧南イエメンの不満分子を間接的に抑えること、東部ハドラマウトの人々をつなぎ止めておくこと、そして流れ込んできたアルカーイダ系の人々が国内で悪さをしないようになだめておくこと。さらにサウジとはけんかしない程度に関係を維持し、必要なときにはお金をもらうこと。
これらをサレハはそれぞれの仲介的な役割を担う人を使いながらやってきたのです。サレハ自身の言葉によれば、イエメンを統治することは「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」のです。(Victoria Clark "Yemen: Dancing on the heads of snakes" Yale Univ.Press, 2010)。ですから、仮にサレハが退陣しても誰も蛇の頭の上でダンスを踊る役割はしたいと思っていないのです。
サレハは、シリアのハフェズ・アサド前大統領が息子に大統領職を禅譲することに成功したことを見て、またムバラクも息子に大統領職を息子に譲ろうとしているのを見て、自分も息子アハマドに継がせようと思っていたかもしれません。しかし、仮にそれが出来たとしても、アハマドが成功する確率は限りなく低かったでしょう。アハマドは父親が持っている「ネットワーク」を持っていないからです。今回の一連の経緯でこの可能性が排除されることは、イエメンにとっては幸いです。絶対失敗するシナリオを取らずに済むからです。
ハーディー副大統領が、暫定政権を組織したとしても、同じことです。彼は旧南イエメンの代表であることから、北部部族との交渉はまず出来ません。サウジとの交渉も出来ません。1981年にサダト大統領が暗殺されたときに、ムバラク副大統領が大統領になりました。このときは、ムバラクは無名で指導力が不安視されましたが、軍を掌握していたことでそれ以後30年間の政権を維持できたのです。
ところが、イエメンでは軍を掌握している人はいません。今回の争乱の中で3月に腹心と言われていた第一師団司令官(アリ・モフセン・アルアハマル)がデモ支持を表明しましたが。まだ軍は一応大統領の指揮下にあります。各部隊の司令官だけはサレハと個人的につながっているからです。
もしも、政府が組織的に動いているなら、トップが変わっても組織は継続的に活動できますが、そうでない場合(イエメンの軍がそうですが)は、トップが変わったら大混乱になるだけです。
北部部族については、5月後半からサレハ自身の出身部族であるハーシェド部族連合の連合部族長サーディク・アルアハマルが公然と反旗を翻し、あっという間に一部の政府機関を占拠しました。この程度の軍事力を北部部族が保持していることは明らかだったので驚くことはないのですが、アハマルは、サレハのやり方に怒っているのであって、自分が大統領をやろうなどとは露ほども思っていないでしょう。
そもそも、そんなことを言い出したら、これまで三ヶ月以上民主化要求デモを続けてきた学生たちが黙っていないでしょう。野党連合は今回の一連の動きの中でサレハに圧力をかけてきましたが、それを率いる指導者はいません。所詮烏合の衆です。
また、今回の大統領府攻撃を誰がやったのかも謎ですが、サレハが負傷してサウジに出国したことを反サレハ派の人々は皆喜んでいますが、これでサレハが暗殺されたとしたらこれまでの民主化運動の意味はほとんど失われてしまいます。
現時点では、サレハ後のこの国の舵取りをどうするのか。全くめどが立ちません。もちろん、憲法の規定に則りハーディー副大統領が暫定政府を組織することが最も穏当です。それで一年程度はしのげますが、その間に次の「国の姿」を模索しなければならないことになるでしょう。
【2011/6/14】
軍を骨抜きにしておくこと、北部部族と一定の関係を維持すること、中部イエメンのテクノクラートを掌握すること、旧南イエメンの不満分子を間接的に抑えること、東部ハドラマウトの人々をつなぎ止めておくこと、そして流れ込んできたアルカーイダ系の人々が国内で悪さをしないようになだめておくこと。さらにサウジとはけんかしない程度に関係を維持し、必要なときにはお金をもらうこと。
これらをサレハはそれぞれの仲介的な役割を担う人を使いながらやってきたのです。サレハ自身の言葉によれば、イエメンを統治することは「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」のです。(Victoria Clark "Yemen: Dancing on the heads of snakes" Yale Univ.Press, 2010)。ですから、仮にサレハが退陣しても誰も蛇の頭の上でダンスを踊る役割はしたいと思っていないのです。
サレハは、シリアのハフェズ・アサド前大統領が息子に大統領職を禅譲することに成功したことを見て、またムバラクも息子に大統領職を息子に譲ろうとしているのを見て、自分も息子アハマドに継がせようと思っていたかもしれません。しかし、仮にそれが出来たとしても、アハマドが成功する確率は限りなく低かったでしょう。アハマドは父親が持っている「ネットワーク」を持っていないからです。今回の一連の経緯でこの可能性が排除されることは、イエメンにとっては幸いです。絶対失敗するシナリオを取らずに済むからです。
ハーディー副大統領が、暫定政権を組織したとしても、同じことです。彼は旧南イエメンの代表であることから、北部部族との交渉はまず出来ません。サウジとの交渉も出来ません。1981年にサダト大統領が暗殺されたときに、ムバラク副大統領が大統領になりました。このときは、ムバラクは無名で指導力が不安視されましたが、軍を掌握していたことでそれ以後30年間の政権を維持できたのです。
ところが、イエメンでは軍を掌握している人はいません。今回の争乱の中で3月に腹心と言われていた第一師団司令官(アリ・モフセン・アルアハマル)がデモ支持を表明しましたが。まだ軍は一応大統領の指揮下にあります。各部隊の司令官だけはサレハと個人的につながっているからです。
もしも、政府が組織的に動いているなら、トップが変わっても組織は継続的に活動できますが、そうでない場合(イエメンの軍がそうですが)は、トップが変わったら大混乱になるだけです。
北部部族については、5月後半からサレハ自身の出身部族であるハーシェド部族連合の連合部族長サーディク・アルアハマルが公然と反旗を翻し、あっという間に一部の政府機関を占拠しました。この程度の軍事力を北部部族が保持していることは明らかだったので驚くことはないのですが、アハマルは、サレハのやり方に怒っているのであって、自分が大統領をやろうなどとは露ほども思っていないでしょう。
そもそも、そんなことを言い出したら、これまで三ヶ月以上民主化要求デモを続けてきた学生たちが黙っていないでしょう。野党連合は今回の一連の動きの中でサレハに圧力をかけてきましたが、それを率いる指導者はいません。所詮烏合の衆です。
また、今回の大統領府攻撃を誰がやったのかも謎ですが、サレハが負傷してサウジに出国したことを反サレハ派の人々は皆喜んでいますが、これでサレハが暗殺されたとしたらこれまでの民主化運動の意味はほとんど失われてしまいます。
現時点では、サレハ後のこの国の舵取りをどうするのか。全くめどが立ちません。もちろん、憲法の規定に則りハーディー副大統領が暫定政府を組織することが最も穏当です。それで一年程度はしのげますが、その間に次の「国の姿」を模索しなければならないことになるでしょう。
【2011/6/14】
【イエメンはどこへ行く・2】《大きな流れ》
まず、今回のイエメンでの一連の出来事を、単にアラブの春の連鎖反応だと考えるのは正しくありません。イエメンにはイエメンに固有な政治の流れがあるからです。
私はすでに5年くらい前から「サレハ政権の行き詰まり」を指摘してきました。サレハ政権は、様々な利害を持つ諸勢力をとにかくまとめて、国としてのまとまりを維持することにはきわめて長けています。1990年にベルリンの壁が崩壊した時に、無血で南北イエメンの統一を達成したのはその一つの成果です。もちろん、いろいろな人に妥協を積み重ねさせることの無理が1994年の南北内戦につながったのですが、それも武力で制圧し、旧南イエメンの保守的勢力であるハーディー氏を副大統領に据えて、統一国家を維持してきました。
しかし、サレハ政権の最大の弱点は、「政策を打ち出せない」ことです。特に経済政策、開発政策には全く方向性を打ち出せないままにこれまで33年間を費やしてきました。1978年にガシュミ前大統領が爆死して政権を継いで以来、旧南イエメンとの紛争で1980年代前半は推移し、後半は石油が発見されたのでこの金の使い道だけ考えればよく、1990年のイラク危機の時には湾岸諸国に見放されても欧米からの援助でしのぎ、1994年の内戦を乗り越えるまでは、それでも良かったのです。
しかし、1994年以降は「開発政策」が必要だったのです。それが打ち出せなかったのは、「妥協の名人」サレハ政権の宿命です。長期的な視点に立って物事のプライオリティー付けをし、政策目標を掲げて様々なステイクホルダーの利害を一致させる、ということはサレハ政権には望めません。
それでも、石油収入がありアメリカが軍事援助を続けている限りは延命できたし、2000年代前半まではそれなりの建設ブームもあったので、人々は我慢してきました。しかし、この五年ほどはサナアの表面的な活況をよそに、地方部の衰退は進み、特に旧南イエメンはアデンも含めてほとんど「無視」されてきたのです。これでは国は進みません。
サレハ大統領自身も、自分の限界は知っていると思います。サナアに壮大な「アリー・アブダッラー・サレハ」モスクを建立したのを機に本当は引退すべきだったのです。国民もそれなら「名誉ある引退」を拍手で迎えたでしょう。しかし、それは出来なかった。なぜなら後継者がいないからです。これが「手詰まり」。
サレハ自身も、国民もどうやってこの手詰まりから抜け出せるのか、見通しがなかったのです。私自身も見通しが見えませんでした。ところが、「アラブの春」です。これなら、暗殺されずに引退できるのです。サレハ大統領はこのシナリオに、基本的に乗るつもりがあるはずです。それが唯一の「出口」だということを、彼自身もわかっているから。つまり、現在起こっていることは、手詰まり状態にあったイエメンにとっては「最も望ましいシナリオ」なのです。これが大きな流れです。
問題は、「退陣の仕方」と「次は誰か」です。退陣の仕方として、6月3日にあったような「大統領府攻撃」などによる「暗殺」は最悪です。なぜなら、サレハ政権に依存している利害関係者がそれを理由に次の政権に対する徹底抗戦をする理由になってしまうからです。あくまでもサレハ自身の意志による「退陣」でなければなりません。その意味で、サレハがサウジで治療を受けた後、いったん帰国したいと考えているのは理にかなっているのです。
繰り返しますが、イエメン史の大きな流れの中で今回の争乱は、これまでのシナリオにはなかったウルトラC的な方法であれ、暗殺でない政権交代に向かっているという意味でイエメンにとっては最も望ましいシナリオで進行しており、従って外部者が過度に騒ぎ立てる必要はないということを指摘しておきたいと思います。【2011/6/13】
私はすでに5年くらい前から「サレハ政権の行き詰まり」を指摘してきました。サレハ政権は、様々な利害を持つ諸勢力をとにかくまとめて、国としてのまとまりを維持することにはきわめて長けています。1990年にベルリンの壁が崩壊した時に、無血で南北イエメンの統一を達成したのはその一つの成果です。もちろん、いろいろな人に妥協を積み重ねさせることの無理が1994年の南北内戦につながったのですが、それも武力で制圧し、旧南イエメンの保守的勢力であるハーディー氏を副大統領に据えて、統一国家を維持してきました。
しかし、サレハ政権の最大の弱点は、「政策を打ち出せない」ことです。特に経済政策、開発政策には全く方向性を打ち出せないままにこれまで33年間を費やしてきました。1978年にガシュミ前大統領が爆死して政権を継いで以来、旧南イエメンとの紛争で1980年代前半は推移し、後半は石油が発見されたのでこの金の使い道だけ考えればよく、1990年のイラク危機の時には湾岸諸国に見放されても欧米からの援助でしのぎ、1994年の内戦を乗り越えるまでは、それでも良かったのです。
しかし、1994年以降は「開発政策」が必要だったのです。それが打ち出せなかったのは、「妥協の名人」サレハ政権の宿命です。長期的な視点に立って物事のプライオリティー付けをし、政策目標を掲げて様々なステイクホルダーの利害を一致させる、ということはサレハ政権には望めません。
それでも、石油収入がありアメリカが軍事援助を続けている限りは延命できたし、2000年代前半まではそれなりの建設ブームもあったので、人々は我慢してきました。しかし、この五年ほどはサナアの表面的な活況をよそに、地方部の衰退は進み、特に旧南イエメンはアデンも含めてほとんど「無視」されてきたのです。これでは国は進みません。
サレハ大統領自身も、自分の限界は知っていると思います。サナアに壮大な「アリー・アブダッラー・サレハ」モスクを建立したのを機に本当は引退すべきだったのです。国民もそれなら「名誉ある引退」を拍手で迎えたでしょう。しかし、それは出来なかった。なぜなら後継者がいないからです。これが「手詰まり」。
サレハ自身も、国民もどうやってこの手詰まりから抜け出せるのか、見通しがなかったのです。私自身も見通しが見えませんでした。ところが、「アラブの春」です。これなら、暗殺されずに引退できるのです。サレハ大統領はこのシナリオに、基本的に乗るつもりがあるはずです。それが唯一の「出口」だということを、彼自身もわかっているから。つまり、現在起こっていることは、手詰まり状態にあったイエメンにとっては「最も望ましいシナリオ」なのです。これが大きな流れです。
問題は、「退陣の仕方」と「次は誰か」です。退陣の仕方として、6月3日にあったような「大統領府攻撃」などによる「暗殺」は最悪です。なぜなら、サレハ政権に依存している利害関係者がそれを理由に次の政権に対する徹底抗戦をする理由になってしまうからです。あくまでもサレハ自身の意志による「退陣」でなければなりません。その意味で、サレハがサウジで治療を受けた後、いったん帰国したいと考えているのは理にかなっているのです。
繰り返しますが、イエメン史の大きな流れの中で今回の争乱は、これまでのシナリオにはなかったウルトラC的な方法であれ、暗殺でない政権交代に向かっているという意味でイエメンにとっては最も望ましいシナリオで進行しており、従って外部者が過度に騒ぎ立てる必要はないということを指摘しておきたいと思います。【2011/6/13】
【イエメンはどこに行く・1】《アラブの春》
【イエメンはどこに行く・1】《アラブの春》
2011年1月に、チュニジアのベン・アリ大統領が民衆の抗議デモを受ける形で国外脱出し、23年間の独裁政権が崩壊したことは、これまでの中東・アラブの政治常識を覆したという意味でまさに「革命」というにふさわしい出来事でした。一部の人々はこれを「ジャスミン革命」と呼んでいるようですが、その後これがエジプトにも波及して2月にムバラク大統領が30年にわたる政権を手放さざるを得なくなりました。これまた、大方の中東専門家が予想さえしなかったという意味で革命的な出来事です。
こうした展開を見た他のアラブ諸国の人々は一種の興奮状態に陥り、各国に民主化要求の市民デモが飛び火します。この一連の動きを「アラブの春」と呼ぶ人もいます。おそらく1968年のチェコで起こり、ソ連軍の軍事介入で鎮圧された改革運動を「プラハの春」を念頭に置いたネーミングでしょう。
しかし、「アラブの春」の展開はそれぞれの国ごとに大きく異なっており、単純にチュニジア→エジプト→次の国というようなドミノが自動的に起こるわけではありません。リビアの状況はカダフィ氏が強固に抵抗することで泥沼化し欧米諸国が軍事介入するというとんでもない事態に発展していますし、シリアもアサド・ジュニアが弾圧志向を強めて「政府対人民」という悲惨な状態になりつつあります。バハレーンの争乱は、パトロンであるサウジが軍事介入して押さえ込んでしまいました。
では、イエメンはどうなるのでしょう。事態は流動的ですが、イエメン専門家と名乗るからなは知らんぷりもしていられませんので、これからしばらくこの問題についての、私の考えを述べてみたいと思います。【佐藤寛・2011/6/13】
2011年1月に、チュニジアのベン・アリ大統領が民衆の抗議デモを受ける形で国外脱出し、23年間の独裁政権が崩壊したことは、これまでの中東・アラブの政治常識を覆したという意味でまさに「革命」というにふさわしい出来事でした。一部の人々はこれを「ジャスミン革命」と呼んでいるようですが、その後これがエジプトにも波及して2月にムバラク大統領が30年にわたる政権を手放さざるを得なくなりました。これまた、大方の中東専門家が予想さえしなかったという意味で革命的な出来事です。
こうした展開を見た他のアラブ諸国の人々は一種の興奮状態に陥り、各国に民主化要求の市民デモが飛び火します。この一連の動きを「アラブの春」と呼ぶ人もいます。おそらく1968年のチェコで起こり、ソ連軍の軍事介入で鎮圧された改革運動を「プラハの春」を念頭に置いたネーミングでしょう。
しかし、「アラブの春」の展開はそれぞれの国ごとに大きく異なっており、単純にチュニジア→エジプト→次の国というようなドミノが自動的に起こるわけではありません。リビアの状況はカダフィ氏が強固に抵抗することで泥沼化し欧米諸国が軍事介入するというとんでもない事態に発展していますし、シリアもアサド・ジュニアが弾圧志向を強めて「政府対人民」という悲惨な状態になりつつあります。バハレーンの争乱は、パトロンであるサウジが軍事介入して押さえ込んでしまいました。
では、イエメンはどうなるのでしょう。事態は流動的ですが、イエメン専門家と名乗るからなは知らんぷりもしていられませんので、これからしばらくこの問題についての、私の考えを述べてみたいと思います。【佐藤寛・2011/6/13】
2011年5月12日木曜日
珈琲がやってきた

モカコーヒーを愛し、モカコーヒーに一生を捧げたといっても過言ではない故標交紀(しめぎ・ゆきとし)氏=吉祥寺の「珈琲自家焙煎店もか」店主が蒐集したコーヒー関連工芸品・美術品が中近東文化センター附属博物館で展示されております。
・展示場:中東文化センター付属博物館(The Museum of the Middle Eastern Culture Center in Japan)
三鷹市大沢3‐10‐31 JR武蔵境よりバス 10分「西野」下車
電話:0422-32-7111
・展示期間: 9月25日(日)まで
・開館時間:10時~17時
・休 館 日:月曜日~木曜日(祝祭日は開館、振り替え休日なし)
・入 場 料:1000円 高校生・65歳以上 500円 中学生以下 無料

ご興味・ご関心のある方はお出かけ下さい。
日本・イエメン友好協会
(ワタル株式会社)
西尾 法人担当理事
2011年5月11日
2011年5月6日金曜日
ウサマ・ビン・ラーディンの殺害に伴うテロ攻撃に関する情報
NGO団体の皆様
ウサマ・ビン・ラーディンの殺害に伴うテロ攻撃に関する情報を以下のとおりお知らせします。
================================
【外務省からのお知らせ】
ウサマ・ビン・ラーディンの殺害に伴うテロ攻撃に関する注意喚起(5月4日現在)
1.5月1日(現地時間)、オバマ米国大統領は演説で、米国の作戦により国際テロ組織アル・カーイダの指導者ウサマ・ビン・ラーディンをパキスタンで殺害、その遺体を確保した旨発表しました。
2.その一方で、米国は、最近のパキスタンにおける対テロ活動を受け、米国人・米国権益などに対する報復テロの可能性が懸念されることから、海外に渡航・滞在する全ての自国民に向け、注意を喚起する危険情報を発出しています。
3.つきましては、過去に欧米権益に対する攻撃が発生した地域、とりわけウサマ・ビン・ラーディンが殺害されたパキスタンをはじめとしてアル・カーイダ本体または関連組織が活動する地域において米国を中心に広く欧米権益がテロ攻撃を受ける可能性が懸念されるため、これらの地域への渡航を予定されている方及び滞在されている方は、現地の情勢に十分注意し、最新の治安関連情報を入手するよう努めてください。特に、テロの標的になりやすい多くの人が集まる場所(観光地、米国系有名ホテルやファースト・フード店を含む欧米関連施設、混雑するカフェやレストラン、ショッピング・センターやマーケット、カジノ、ディスコ、駅やバス・ターミナル等)、欧米の在外公館や政府関連施設(政府機関、軍・治安関連施設)にはできる限り近づかない、また、近づく場合であっても、短時間で効率的に用事を済ませ、常に周囲の状況に注意を払い、不審な状況を察知したら、速やかにその場を離れるなど安全確保に一層の注意を払ってください。また、不測の事態が発生した場合の対応策を再点検し、状況に応じて適切な安全対策が講じられるよう心掛けてください。
4.また、万一に備え、海外渡航前には家族や友人、職場の同僚等に日程や渡航先での連絡先を伝えておくとともに、テロ事件等の不測の事態に遭遇した際には、現地の日本国大使館又は総領事館に速やかに連絡を取るようお願いします。
5.外務省では、「海外安全ホームページ」(http://www.anzen.mofa.go.jp/ ) において「スポット情報」、「危険情報」等を掲載し、世界各国・地域毎のテロ情勢や注意事項をお知らせしていますので、海外に渡航される方におかれては、渡航前にこれら情報を参照してください(パキスタンの一部地域、アフガニスタン全土に危険情報「退避を勧告します。渡航は延期して下さい。」が発出されています)。
なお、爆弾事件・誘拐に関しては、以下も併せて御参照ください(パンフレットは、 http://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pamph.html に記載)。
(1)2010年6月3日付広域情報「爆弾テロ事件に関する注意喚起」
(2)パンフレット「海外旅行のテロ・誘拐対策」
(3)パンフレット「海外へ進出する日本人・企業のための爆弾テロ対策Q&A」
(4)パンフレット「海外における誘拐対策Q&A」
(問い合わせ先)
○外務省 海外安全ホームページ:
http://www.anzen.mofa.go.jp/
http://m.anzen.mofa.go.jp/mbtop.asp (携帯版)
以上
連絡まで
日本・イエメン友好協会
手島専務理事
2011年4月4日
ウサマ・ビン・ラーディンの殺害に伴うテロ攻撃に関する情報を以下のとおりお知らせします。
================================
【外務省からのお知らせ】
ウサマ・ビン・ラーディンの殺害に伴うテロ攻撃に関する注意喚起(5月4日現在)
1.5月1日(現地時間)、オバマ米国大統領は演説で、米国の作戦により国際テロ組織アル・カーイダの指導者ウサマ・ビン・ラーディンをパキスタンで殺害、その遺体を確保した旨発表しました。
2.その一方で、米国は、最近のパキスタンにおける対テロ活動を受け、米国人・米国権益などに対する報復テロの可能性が懸念されることから、海外に渡航・滞在する全ての自国民に向け、注意を喚起する危険情報を発出しています。
3.つきましては、過去に欧米権益に対する攻撃が発生した地域、とりわけウサマ・ビン・ラーディンが殺害されたパキスタンをはじめとしてアル・カーイダ本体または関連組織が活動する地域において米国を中心に広く欧米権益がテロ攻撃を受ける可能性が懸念されるため、これらの地域への渡航を予定されている方及び滞在されている方は、現地の情勢に十分注意し、最新の治安関連情報を入手するよう努めてください。特に、テロの標的になりやすい多くの人が集まる場所(観光地、米国系有名ホテルやファースト・フード店を含む欧米関連施設、混雑するカフェやレストラン、ショッピング・センターやマーケット、カジノ、ディスコ、駅やバス・ターミナル等)、欧米の在外公館や政府関連施設(政府機関、軍・治安関連施設)にはできる限り近づかない、また、近づく場合であっても、短時間で効率的に用事を済ませ、常に周囲の状況に注意を払い、不審な状況を察知したら、速やかにその場を離れるなど安全確保に一層の注意を払ってください。また、不測の事態が発生した場合の対応策を再点検し、状況に応じて適切な安全対策が講じられるよう心掛けてください。
4.また、万一に備え、海外渡航前には家族や友人、職場の同僚等に日程や渡航先での連絡先を伝えておくとともに、テロ事件等の不測の事態に遭遇した際には、現地の日本国大使館又は総領事館に速やかに連絡を取るようお願いします。
5.外務省では、「海外安全ホームページ」(http://www.anzen.mofa.go.jp/ ) において「スポット情報」、「危険情報」等を掲載し、世界各国・地域毎のテロ情勢や注意事項をお知らせしていますので、海外に渡航される方におかれては、渡航前にこれら情報を参照してください(パキスタンの一部地域、アフガニスタン全土に危険情報「退避を勧告します。渡航は延期して下さい。」が発出されています)。
なお、爆弾事件・誘拐に関しては、以下も併せて御参照ください(パンフレットは、 http://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pamph.html に記載)。
(1)2010年6月3日付広域情報「爆弾テロ事件に関する注意喚起」
(2)パンフレット「海外旅行のテロ・誘拐対策」
(3)パンフレット「海外へ進出する日本人・企業のための爆弾テロ対策Q&A」
(4)パンフレット「海外における誘拐対策Q&A」
(問い合わせ先)
○外務省 海外安全ホームページ:
http://www.anzen.mofa.go.jp/
http://m.anzen.mofa.go.jp/mbtop.asp (携帯版)
以上
連絡まで
日本・イエメン友好協会
手島専務理事
2011年4月4日
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